妻が発達障害の話を妻が書いてみた

妻がASD当事者の夫婦な日々をつづってます。

【ASD成長記】小学校低学年編

前の幼少期編から5ヶ月も開きましたね。

しかも結構皆さん、興味持たれてるんですね(-ω-;)

 

という訳で、

人のアドバイス素直に聞いておけば、もう少し才能が開花したかもしれない小学校低学年編です

(高学年はがらりと変わるので分けました)。

 

幼稚園の絵画教室の誘いを断り、小学1年からスイミングスクールに通い出します。

正直覚えてないんですが、はじめ水以外を怖がって大変だったそうです。

母は根気よく通わせて下さいと言われたそうです。

でも3年生終わりに学童コースから育成コースになりました、母の努力で?

帰りに最寄駅前のヨーカドーに寄るのが楽しみでした。

 

で、最終的に14年間通った大学病院精神神経科の若い男性医師が、一見で

アスペルガー症候群による統合失調症

と診断を確定させるに至った、小学一年生の通信簿の内容と、その実態。

 

6年間、高学年向きの先生でした。

入学式で担任の男性教師に高らかに

低学年を受け持つのは初めてです!

と自己紹介された時は、母もさすがに不安に思ったそうです。

 

手元に通信簿がないので、覚えてる部分だけの話ですが、幼稚園が小学校予備校ではなかったため、はじめは色々苦労しました。

典型例が、平仮名。

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…手頃なソフトがなくて(-。-;

これ時間かかった覚えあります。

大人になってから通信教育の実用ペン字で多少矯正しましたが、今でもちゃんと書けないひらがなあります。(とか)

 

あと何でも1番でないと大騒ぎは典型的?

給食費の集金袋が1番にもらえなくて大騒ぎした時はむしろ要らんっ!(怒)と母が思ったのは無理ないですね( ̄▽ ̄;)

 

集団で遊べなかったのもこの頃から。体育館裏で、蟻の行列見てました、マジで…。

友達はいますが、小児アトピーで外の遊びが制限付きなのと、父が夜勤のため他人の家でしか遊べなかったりで、自分含めて2〜3人…。

絵を描くのは好きで、すぐ自由帳が埋まりましたが、5年生だった兄の教科書を見て4コママンガの描き方を知り(なんで私の代ではやらなかったか不思議)、他の子がお人形描いてる中、全然別な物描いて…

…てなあたりが、担任は気に入らなかったんでしょうね。

 

運動神経も、水泳以外は全滅。幸い、ドッヂボールはボールは取れないけど逃げるのは得意でした。

鉄棒の逆上がりもビリ。丸太で組んだジャングルジムも、1人で登って下りるまで帰さないと言われました。

 

どうやらこの辺りで「ガツンと抑えつけたら大人しくなった」らしいのですが、

おそらく怖くて(>_<)何もできなくなったのではと…。

 

そして3年生に。兄は優等生のまま市立中学に進学。

兄の担任が、私の担任になります。

もう想像付きますよね…事あるごとに

お兄さんはあんなに優秀なのに!」と叱られるようになります。

女教師で、大きい目で睨んできてなんで目を合わせられないのかって、どんな無理ゲーだよ

いじめが酷くなる(内容は要らないでしょう…)のも、忘れ物が多くなったりダメな子供になるのもこの頃です。

 

自分の意見が通らないと授業ボイコット、これは悪いです認めますが、なんで放置するんすか。

父が外にお金をばら撒くのがMAXになったのもこの頃で、両親がしょっちゅうケンカしてました。

 

「私は何度も流産した」

「だから子供は1人で良かった、なのにおばあちゃんが一人っ子はかわいそうって…」

「どうせなら男の子が良かったのに」

 

母は否定するんですが、何度も聞いた言葉です。

「私は生まれてきちゃいけなかった」

自殺の方法なんて知りません。鉛筆齧りや爪齧り、そしてドラマを観て覚えた、電気コードの類で首を絞めるなどの自殺企図が始まったのは4年生になる頃でした…。

 

なるべく早く小学生高学年編、書きます。