妻が発達障害の話を妻が書いてみた

妻がASD当事者の夫婦な日々をつづってます。

【ASD成長記】小学校高学年編

低学年編の更新が新しいうちに、小学校高学年編。

 

自分は生まれてきちゃいけない人間なんだ。

 お兄ちゃんだけ必要なんだ

 

と思い出し、自分で自分を絞殺しようとする自殺企図が始まった頃でした。

その4~5年生、人生の転機が訪れます。

 

この頃学年雑誌から少女マンガ雑誌に切り替わります。

小学館「ちゃお」です。同級生はちゃお→りぼん→なかよし、と学年が変わるたびに変わっていくのですが、私は中学入学までずっとちゃおでした。

当時お姉さん格雑誌の週刊少女コミックでも描かれてるマンガ家も描いてました。

同年代の方ならご存じかと思いますが、ぶっちゃけえっちいマンガが多かった('◇')ゞ

 

で、絵描きからマンガに興味を持ちだします。

スイミングは育成コースから選手コースに。しかし最後の方は補欠合格やら、スタートの飛び込みが苦手だったり。

しかも選手コースの時間は夜遅く。路線バスで30分かかるため、日曜日の昇級試験?が終わった後にまとめて練習する週1コースしかありませんでした。

※ガチな選手は平日夜と併用

さらに選手コースに上がってすぐの小学5年で初潮が…。

通えなくなる日が続く中、絵描きの方にだんだんと興味が強くなります。

 

でも辞めるなんて言ったら怒られる…

 

そんな頃、読んでたちゃおとの提携?で、高校生3人が連名でマンガ家になるドラマの主題歌が、渡辺美里の「My Revolutionでした。

もうね、歌詞が心にぐさぐさっでした。

そして両親に、自分は水泳選手に向いてない、マンガが描きたい。お金ももったいないからスイミングを辞めたいと…。

で、約4年強通ったスイミングを辞めました…また親を失望させました。

 

ところがすべて独学。投稿もしてみたのですが、全然。

兄が中学3年間ずっと塾に通ってたので、改めて絵を習いたいとか言えません。

ふと絵の練習ではなく話づくりのために文字の本を読もうと。兄が買った「時をかける少女」の原作本が家にありました。

結果、マンガ家志望から小説家志望にすぐ転向しました(;'∀')

ちょうど、ライトノベルの祖と言われる集英社コバルト文庫ができたばかりの頃で。

 

で当時、友達と交換日記が流行ってましたが、私はマンガや小説を書きました。その友達?が共謀してたと思うんですが、それが男子のいじめっ子に渡り、ネタに虐められました…( ノД`)

 

またまた、テレビのチャンネルは父親が完全に握ってました。

父が観てたのは野球・プロレス・演歌中心の音楽番組です。

友達と話を合わすために流行の番組を観たかった兄は苦痛だったようですが、私は「アイドル?興味ない」で…。

親と観てたドラマの主題歌でレベッカにドはまりします。「フレンズ」が大ヒットした時です。

父が家電メーカーに勤めてた頃なので、2Kの賃貸団地にしてはデカすぎる音響設備がありました。更に近所にレンタルレコード屋さんもあり、全曲そろえるのはカンタンでした。

「〇〇くん(←アイドル)興味ないなんて人間じゃない!」

とまた虐められるんですけどね…( ノД`)

 

ちなみに虐めの内容ですが、鉛筆などの筆記用具を折られたり壊される・蹴られる・物を盗まれる・何かと仲間外れにされる…とかです。

これ被害少ない方だと思います。だって友達と遊ぶことは避けだしましたから。

ですが小学6年生で神経性胃炎の診断が下ります。太めだった体型が一気に標準になりました。

それでも児童相談所とかの介入はないんですよね…。

 

ちなみに兄ですが。

小学校6年生の時に市内一頭の良い都立高校に合格入学(正確には2番目の高校に落ち、第二志望制度を使って繰り上げ)。中学時代は生活委員会の三役として「優等生」に拍車がかかります。

首に絞め痕をつけつつ、兄の存在の空気が残った中学に、いじめっ子ともども進学します…が、はてさて?

 

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